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山口地方裁判所 昭和30年(ワ)39号 判決

原告 国

訴訟代理人 西本寿喜 外四名

被告 浅田伊平

主文

被告は原告に対し、徳山市大字徳山字浦石二千九十八番地宅地九十二坪の土地に付売買による所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告指定代理人は、主文第一、二項同旨の判決を求める旨申立て、その請求原因として、徳山市大字徳山字浦石二千九十八番地宅地九十二坪の土地は、もと被告の所有土地であつたところ、旧海軍の第三海軍燃料廠の防火地帯設定の為、昭和二十年三月二十日、その附近一帯に存する建物約五十戸を疎開せしめ、同時にその敷地約二千坪を買収した際、被告より原告国(当時海軍省)が代金七千三百六十円で買得したものである。即ち本件土地を含む浦石町一帯の土地は、当時戦争苛烈を極め、本土空襲も激しさを増して来たので、旧海軍当局は、徳山第三海軍燃料廠の被爆による危険を防止する為、昭和十九年十一月頃民有土地の買収(約二千坪)並びに建物(約五十戸)の疎開を企図し、当時の浦石町内会長一色三次及買収事務の処理を委託されていた徳山市側の羽仁市長、鷲沢土木課長、山本土地係長等と協議したが、買収価格の点で纏らず、翌昭和二十年三月二十日頃再び協議した結果、漸く買収価格について意見が一致したので、同日午後七時頃一色町内会長宅階上に、町内会員全員の参集を求め軍側からは、燃料廠の総務部長、同庶務主任、同守衛司令等、市側からは前記三名が出席し、その席上軍側から当時の戦局並に買収に至つた事情の説明があり続いて具体的な買収条件として、土地については、浦石町を二分し、一町目を坪当り百円、二町目を坪当り百弐拾円、建物については、移転料を、その構造によつて等級を分ち夫々坪当り四百円、弐百七拾円、百五拾円、八拾円とし、営業補償は別々に支払うこと等の条件で買収を申込んだところ全員之に応じ、誰一人として異議を申立てる者なく之に応じたのである。

原告は右席上に出席していた被告の実妹である訴外安村スエを被告の代理人として本件土地買収の交渉を進めたのであるが、仮りに右訴外安村スエに於て、右売買交渉について被告を代理する権限が無いとしても、次に述べる事情により本件貿収は有効である。即ち被告は当時在満していたが、右訴外安村スエから手紙により建物の疎開について相談を受けた際之を許諾し、建物の収去、移転料の受領につき同訴外人に代理権を附与したものであるから、右スエが、その権限の範囲を逸脱し、本件土地売却の行為に及んだとしても、その行為は、原告国に対する関係に於ては有効と謂うべきである。何んとなれば、当時は、挙国一致して本土決戦に当る、と言うような国内態勢にあつた上、相当な時価を支払う本件買収に於て、誰一人として之に反対する者とて予想されず、原告(当時海軍)としては、右スエにその権限があると信ずべき正当の理由があつたと言うべきだからである。よつて民法第百十条、第百九条により被告は右スエの行為につきその責を負うべきであり、従つて本件売買は有効であると謂わねばならない。然るに被告は、現在に至るもその所有権移転登記を履行しないので、已むを得ずその履行を求める為本訴請求に及んだ次第である、と陳述した。

〈立証 省略〉

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求める旨申立て、答弁として、原告主張の請求原因事実中原告主張の被告所有の本件土地が、昭和二十年三月頃附近一帯と同時に強制疎開になつた事実、並に本件土地につき所有権移転登記をしない事実のみ之を認めるも、其余の主張事実は全部之を否認する。原告主張の本件土地は被告の所有で、被告は、昭和二十年三月当時は満洲に居り、被告不知の間にその所有権を失う謂れは無い、と述べた。

〈立証 省略〉

理由

按ずるに、原告主張の本件土地が、登記簿上被告の所有名義である事実及本件土地を含む附近浦石町一帯が、今次戦争に際し、昭和二十年三月頃、所謂強制疎開となつた事実、当時被告が満洲に居住していた事実については、本件当事者間に争が無い。而して原告は、本件土地は、その主張の如き経緯により、その主張の日時、被告の実妹である訴外安村スエを被告の代理人として、本件強制疎開に際し、之を原告に買収したものであり、右訴外安村スエの代理権については、原告に於て、その主張の如き事由によりその存在を信ずべき正当の理由があつたものである。と主張し、被告は全面的に之を否認して抗争している。よつて按ずるに、右当事者間に争のない各事実に、各その成立につき本件当事者間に於て争のない甲第四、第六、第七号証、証人山本兼市同中塩寿夫の各証言の結果、各その成立の真正を認め得る甲第一、第二、第三号証、証人中塩寿夫の証言の結果によりその成立の真正を認め得る甲第五号証の各記載に、証人山本兼市、同一色三次、同中塩寿夫、同安村スエ(但後記不措信の部分を除く)の証言の結果を綜合すれば昭和二十年三月二十日頃、旧海軍側の要望に基き、本件土地を含む附近浦石町一帯の疎開に関し、当時浦石町町内会長一色三次は、その自宅に関係者全員の参集を求め、旧海軍よりは、旧海軍第三燃料廠総務部長、庶務主任、守衛司令、徳山市側よりは、羽仁市長、鷲沢土木課長、山本土地係長等が出席し、席上、旧海軍側より戦況の説明があつた後、是非疎開せられ度旨の要望があり、次いで協議に入り、町内会長たる一色三次は疎開是非の決を採つたところ、全員異議なく軍側の要望に応じて疎開に協力することとなつたが、その際、当初軍側は、単に家屋のみを買収したのでは、金が少い、他所に移るには金が余計入用だから、土地も共に買収して貰い度い、そうすれば、他に家や土地を求めることができるから、との強い要望があつたので、軍側としても、遂に右民間側の要望を容れて、浦石町一帯の疎開に際しては、家屋土地全部を買収することに定めた事実、右集会には、被告が当時満洲に居た関係上、被告の実妹たる訴外安村スエが被告の代理として出席した事実、被告は、右訴外安村スエよりの本件土地並その地上建物に対する軍側の買収につき手紙による問合せに対し、強制疎開なら仕方がない、と云つて之に了解を与えた事実、右集会には、当時の戦況に基く国内態勢上、男子は多く出征し、在外者等については大部分は、各その留守家族たる妻、若しくは親族等が代理して出席していた事実、本件土地買収代金として金七千参百六拾円、その地上家屋移転料として金壱万九百五拾四円がそれぞれ軍側より、当時の羽仁徳山市長を経由して被告側に支払われている事実、本件土地の登記簿上の所有名義が今日に至るまで依然として被告の所有名義となつている事実を各肯認するに充分である。而して右認定に反する証人安村スエ、同浅田ユワ、同野村茂吉の各証言並被告浅田伊平本人訊問の結果は何れも之を措信しない。尚本件当事者間に於て成立に争のない乙第一、第五号証、被告浅田伊平本人訊問の結果その成立の真正を認め得る乙第二、第三、第四号証の各記載内容中、前認定に反する部分は、何れも、前顕各証拠に照し、之を措信し得ない。其他本件記録中右認定を覆するに足る証拠はない。果して然らば被告は、原告主張の日時頃、その実妹たる訴外安村スエを代理人として、その所有に係る本件土地をその地上家屋の疎開による移転の際、原告主張の買収代金を以つて、之を旧海軍側即ち原告に売却し、当時該代金を受領したものであると断ずるの外はない。【判示事項】而して仮りに右訴外安村スエに、本件土地売却に関する代理権が無かつたとしても、証人安村スエの証言(但し前記不措信の部分を除く)によれば、右訴外安村スエは、少くとも本件土地の上に存した被告所有の家屋に関しては、代理権を有していた事実を認めることが出来、而も前認定の如く前記集会に於ては、出征者、在外者等にあつてはその留守家族たる妻、若しくは親族等が代理として出席し、全員挙つて軍側の買収申出を承諾し、而も本件疎開に在つては、民間側の強い要望に基き軍側に於ても特に土地、家屋、全部を買収することに決定し同集会に被告の代理として出席した訴外安村スエも他の出席者と同様之を承諾したものであるから、右訴外安村スエの前記行為は仮令その代理権の範囲を逸脱したものであつても、当時戦況極めて苛烈重大であつて、挙国一致所謂本土決戦を呼号していた状態で、軍側の要望に対しては、好むと好まざるとに拘らず一致協力せざるを得ない国家態勢にあつた事実は当裁判所に顕著なる事実であり且前認定の如き相当の価格による買収であつて見れば、軍側即ち原告としては誰一人としてその反対も予想され得なかつたものであり、以上の諸事実より考察すれば、原告(当時海軍)としては右訴外安村スエにその権限があると信ずべき正当の理由があつたものと謂わざるを得ない。然らば被告は、民法第百十条、第百九条に則り、右訴外安村スエの行為につきその責に任ずべきは当然で、従つて又原告主張の本件土地売買は有効であると断ぜざるを得ない。

以上の論断は、遠く外国より引揚げて来た被告に対し極めて同情すべき結果を招来するであろうが、かくの如きは当時の戦況下に於ける国内情勢としては、単に被告一人のみならず他に無数の事例を見ることであろう。現に本件疎開に於ても、被告の外、他に幾十人もの被告の如き同情すべき実例が存するのである。而も尚かゝる人々は敗戦てう十字架の下に黙々として自己の運命を開拓しつつあるであろう。以上によつて之を見れば、被告は原告に対し、本件土地に付、原告主張の売買を原因として、その所有権移転登記を為すべき法律上の義務の存することは多言を要しないところである。よつて原告の被告に対する本訴請求は正当として之を認容し、訴訟費用の負担に付、民事訴訟法第八十九条を適用し主文の如く判決する。

(裁判官 竹田政一)

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